だまし絵

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「だまし絵」について考えていた。

きっかけは、「他者の他者性(知人・友人etc」(違い)の必要性を、人に説明する為に。

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個人的な見解ですが、ザックリとのみ述べると「世界」とは心象(潜在意識の闇と顕在意識の光)に過ぎない。

されど潜在意識は、自分でわからないから、毎日「自分で自分を」騙しながら、見たい世界を見たいように

見たいだけ見ているに過ぎない。(ように思う)


その説明の一例として、「だまし絵」を例に用いて「複雑なだまし絵(世界)」を、色々な角度や距離から見る視点として「他者の他者性(違い 異なり)」の必要性を論じようかと考えている。



掘り下げると「だまし絵の種類」「自分と見ている世界の関係性」「他者の種類」など相関関係により

「あるがままの世界」にズレが生じるので、この辺りも、まとめておきたい。


さらに

「時間空間距離を超えただまし絵」についても論じたいけれど、その話をしたら、聞いてる人の頭がこんがらがる前に、私もまだ、わかりやすい説明ができる比喩が充分でないので、とりあえず保留としよう。


1つ前のブログ「献花」に書いた沢山のIと愛とmeの関係。...なんですが、「献花」でなく「喧嘩」してしまうのが問題。←つまらない駄洒落のようですが、ここポイント(笑